秋田県能代市のみどり歯科医院です。歯を衛(まも)る!健康創造型の歯科医院をめざします。 

一生自分の歯で食べる事が出来る幸せを! 歯科医療はマンツーマンの診療室での「診療」と、地域での保健活動によるゾーンディフェンス「予防」がキーポイントです。

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暖かな師走の入り 

暖かい師走の入り
男鹿半島
(男鹿半島と夕日)
前回の10月のエントリーからブログの更新がまたまた滞ってしまいました。
さて、早いもので今年の暦も残すところ1枚となってしまいました。11月の終わりに冬の到来を告げる降雪があったものの、12月に入ってからは、1,2日に台風のように強風と大嵐があり、不思議に気温が退高いようです。異常気象は年末になってもつづいているのでしようか。
 今年の夏はおそらく生涯で経験した事がないほどの猛暑、そして能代地区では小学校から高校まで野球の大活躍が記憶に残りました。その一方で、米の不作や、エコカー補助金や、景気の後退、混迷続きの社会情勢が影響しているのかどうかわかりませんが、患者動向では今までとは違って、明らかに受診抑制が感じられた年となりました。
米代川河口
(能代大橋のたもと 米代川河口)
 さて、歯科保健情報では、いよいよ地元の能代市でフッ化物事業が開始される事が決定したようです。これもまた、当市始まって以来の歯科での一大イベントとして歴史となる事は確かでしょう。事業のきっかけは、以前このブログでお伝えしたように、昨年9月の市議会での議員質問が緒となりました。
能代大橋
(能代大橋)
12月2日付けの地元紙 北羽新報によれば、12月定例市議会での市長行政説明では、
「フッ素洗口事業について、情報収集や視察を行い、虫歯予防効果や安全性が確認された。今年度、保育施設や、幼稚園職員および学校教職員を対象とした研修会、保護者説明会を実施し、23年度中には、民間を含む全ての保育施設と幼稚園、市立小中学校での実施に向け準備を進める。
 とありました。いよいよ事業にGoサインが出た所です。実施に向けては、今後様々な見解や、学校等の現場レベルでの課題もあるかと思われます。
共通項として、子供たちがより健やかに育つ(健康に)事を願う心をベースに対応して、相互理解のもとに解決していければと思います。
 もちろん、フッ化物洗口が虫歯予防の全てという訳ではありませんが、この事が地域として歯の健康に関心を持つを契機になれば、新たな可能性が開けるのではないかと期待しております。
 歯科の専門職の立場としては、平成23年は、むし歯予防や、歯の健康管理の面にさらに力を入れて、従前のいわゆる20世紀型の歯科医療である、虫歯や歯が失った後の処置が中心の「
削って、抜いて、詰めて、被せて、入れ歯を作る歯の修理工場」的なイメージからの脱却を図っていきたいと考えております。
ハイビスカス
(診療室のハイビスカス)

閑話休題
 11月にかつてからの念願であった水沢(現 奥州市)にある「後藤新平記念館」を訪ねてきました。
 明治新政府の設立の正当性を衛生面から説いた「国家衛生原理」の実物を見た時は本当に感動いたしました。新平翁は、台湾の民政局長や、満鉄総裁、東京市長などを歴任し日本のレオナルドダビンチとも言えるほど、多方面で活躍され、多大な業績を残されました。
その基となっているのは「公共の思想」であると言われております。(個人的には明治の弘法大師 空海出端以下と思っております。)
後藤記念館

 幕藩体制の下では水沢は伊達藩の留守氏の領地であり陸中国胆沢郡塩竈村と呼ばれた所で、新平氏は武家の子息として生まれました。幼少の頃からかなりの碗白者であったそうですが、将来を見込まれて福島県須賀川の医学校に入学し医師として出発します。そして彼の運命の出会いは明治15年、当時赴任していた名古屋の愛知病院に、自由民権運動の推進者であった自由党総裁の板垣退助氏が岐阜で演説中に暴漢に教われ、瀕死の重傷を負ったとき、後藤は当時の規則で管轄害の往診には県庁の許可が必要であったが、岐阜の病院長重視用のためぜひ来てほしいと電報が届き、独断で夜中に人力車を走らせて岐阜に出向いたそうです。。板垣氏は胸に二太刀を受けた重傷で、自身もその時は観念したらしく、有名なエピソードである「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだそうです。
 その時のやり取りです。後藤が「ご負傷だそうですな、本望でしょう」というと板垣はにこっと笑ったという事です。治療後には板垣と共に食事をして、(素直にというか無遠慮だったのかもしれませんが)「人間は生理学が基礎だ」等と話しているうちに気に入られて、板垣から「あいつを医者にしておくのはもったいない、政治家にしたら面白い」と言われたそうです。(真偽かどうかは異説があり)
(詳しくは。山岡淳一郎著 後藤新平 日本の羅針盤となった男をご覧ください。)
ポスト

 後藤新平記念館の入り口に郵便ポストが置いてありましたが、ポストが赤いと決めたのも、新平氏であったそうです。また、今の新幹線の原型とも言える広軌鉄道(当時の満州鉄道<満鉄>を創業し、日本の鉄道の狭軌1067ミリを世界標準の1430ミリに変更し、鉄道の営業を止める事なく軌道と台車を交換するという偉業を成し遂げました。)NHKの前身である東京放送局の総裁として、自らマイクの前に立ったり、(新平氏の声の録音があります。)、晩年は少年団(ボーイスカウト)の初代総長として、次世代を担う若者の教育にあたったそうです。
子供たちにいつも言い聞かせていた事は、「自治三訣(じちさんけつ)」です。
後藤新平

 自治三訣
  人のお世話にならぬやう
   人のお世話をするやう
     そして報いを求めぬやう


 私も偉人のスピリットを見習いたいと思い、記念にこの色紙を買い求め、院長室に飾っております。

参考  後藤新平記念館

NHK そのとき歴史は動いた 2008年6月4日 人を衛(まもる)都市を目指して ~後藤新平・帝都復興の時~
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