秋田県能代市のみどり歯科医院です。歯を衛(まも)る!健康創造型の歯科医院をめざします。 

一生自分の歯で食べる事が出来る幸せを! 歯科医療はマンツーマンの診療室での「診療」と、地域での保健活動によるゾーンディフェンス「予防」がキーポイントです。

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猛暑の夏 The hottest summer ! 

能代商業高等学校2

8月も中盤となり、お盆となりました。このところ、毎日が流れるようにと言うよりも、飛ぶように過ぎていって、まさに日々流転の毎日です。
 ここのところ、ちょっと歯科関係のエントリーが少なくなりましたが、次回から復活の予定です。
 前回のエントリーでは、探査衛星”hayabusa”(「隼」と書きたいのは時代の違いですかね。子どもの頃、プラモデルを作った記憶が有ります。)
 今年は、短い梅雨とその後の猛暑で、これも異常気象なのだと思います。
連日連夜の猛暑で当院では、コンピューター1台が故障(電源が焼け)、エアコン1台が故障で停止で、修理・入れ替えで予想外の出費となりました。夏バテと寝不足には注意したいものです。
気温
(夕方になってもこの暑さ)
 ところが、能代ではそれがまた暑くなるような出来事が起きました。7月24日には甲子園の秋田県予選でノーマーク(失礼)だった能代商業高等学校が、あれよあれよと勝ち進み、金足農業、明桜高校、そして決勝では名門秋田商業を逆転で破るという快挙をなしとげました。決勝戦のときは在る会議にでていましたが、終わってから「野球はどっちが勝ったのですか」ときくと「能代が勝った」との話を聞き、もしかしたら強敵秋商にコテンパンになっていたかもという先入観があったので信じられないような不思議な面持ちでした。
能代商業高等学校1
(甲子園へ出発する能代商業高等学校野球部 8月1日)
 当日は、折しも能代港祭り花火大会の日と重なり、今年は何と17万人の人出で、名物となった3尺玉を始め1万5千発の花火の競演は、真夏の夜の夢、その物でした。それに続いて、日吉神社例大祭、8月に入ると子ども七夕、そして能代役七夕では今年は8灯籠の運行と、例年になく大掛かりな夏祭りとなりました。
 野球関係では今年は秋田県大会は能代勢が4冠で独占状態です。
 高校野球    能代市立能代商業高等学校
 軟式高校野球  秋田県立能代高校
 中学野球    能代市立東雲(しののめ)中学校
 小学校     能代市立第五小学校

 前から不思議に思っていましたが「商業高校」は県立ではなく「市立」なのですね。能代商業高等学校は、道路を挟んで当院のほぼ向側にあり、当院のスタッフにもOGがいて活躍してくれております。3年後には女子高である県立能代北校との統合が予定れており、来年からは新校舎の建設も始まるとのことですので、「能商」ここにありと改めてアピールした感じです。
また、昨日は今シーズン始めての台風の本土上陸が「秋田市」と、例年では考えられない事態となりました。幸い能代は午前中に断続的に雨が降っていたものの大したことにならず、6時過ぎには西の空が雲が切れて明るくなっていました。
 このごろはニュースに「能代」の文字がでることが多くなった様な感じです。全国の能代出身者は、鼻が1センチほど高くなっているのではないでしょうか?。これを機会に地域に自信と誇りを持って、社会や経済面でも発展に結びつけばと願う次第です。
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「いのちの山河 日本の青空?」の鑑賞記 

岩手山0409
<岩手山パーキングで撮影>
  4月も中旬となりました。桜前線もいよいよ東北に入ってきたと思っていたら、春本番は未だお預けで14日は台風並の強風に見舞われました。折しも能代市では市議会選挙の真っ最中で、選挙ポスターの掲示板が風になぎ倒されるという報道も有りました。天気予報では明日は関東地方などで季節外れの雪の予報です。以前ブログにも書きましたが、今年は3月が寒く、4月になっても春らしい陽気というよりも夕方の冷え込みはまだ3月上旬の感じです。なかなか気候が温暖にならないので、朝夕の運動がてらのお散歩が出来ないでおります。
 当院の新年度は、久々に新人2名が加わり、さあ新年度スタートという所で、ベテランスタッフが体調を崩して離脱というハプニングがありました。例えて言えば双発機の片方のプロペラ(古いですね)が止って、いわば片肺飛行を強いられている状態です。おかげで、今まで彼女に何如に助けられていたかを改めて知らされた次第です。自分か主任さんがダウンすれば「墜落」の憂き目に遭うかも知れないという緊張感を強いられております。物の本に依れば世の中に偶然という物はないそうなので、この事態の呼びかけている意味を考えつつ、災い転じて福となす、「ピンチをチャンスに」をと目下無い「智慧」を搾り出している日々です。
いのち1

 さて、以前からこのブログでご紹介していた、「生命村長」として貧困の村の救世主となり、大きな足跡を残した旧沢内村の深澤晟雄村長を描いた映画「いのちの山河 日本の青空?」を先日ようやく鑑賞することが出来ました。昨年、撮影が横手市の旧山内村で行われたことを新聞で知り、また深澤晟雄資料館にもパンフレットがあり、念願となっていました。
<いのちの山河・日本の青空?ホームページ>
 この映画は「インディーズ」という自主製作の映画に属するため、普通の映画のように映画館である期間上映される形式ではなく、勧進元となる団体(岩手県では生協)が会場を借りて単発で上映しているようです。昨年10月から全国各地で上映されて、岩手だけで1万5千人以上が鑑賞し、高い評価を得ていることは知っておりましたが、なぜか秋田県では撮影ロケ地となった横手市で一度上映されたきりで、ホームページをみても上映予定が掲載されていません。この映画については3月7日付けの秋田さきがけ新報で元横手市長の千田さんが論評を書かれておられます。「秋田では何故この映画をやらないのですか」と岩手の生協連会長に問われたとありますが、全く同じ思いです。もしかしたらこんな所に県民性の違いが現れているではと感じました。昨年の7月ころロケの様子が新聞報道されていましたが、殆どの秋田県民はこの映画の存在を知らないのではないでしょうか。
さきがけ0307

 そこで、雪が消えてから岩手県で日曜日に上映する機会を探していた所、盛岡に近い紫波町で上映されることを知り、一日千秋の想いで車を駆けました。途中、第二期工事が始まった母校の岩手医大の矢巾校舎も見てきました。天気は曇りでしたが矢巾からもはっきりと岩手山を望むことができました。
サンビレッジ

 さて、上映会場となった「サンビレッジ紫波」は、名前からして、ちょっとしゃれたイベントホールのような物を予想しておりましたが、着いて見ると体育館でした。しかし、軽トラはじめ車が引きも切らず押し寄せ、交通整理の人が出ているほどの盛況でした。来場者はやはり、中高年の方々が大多数でしたが、特に女性が多かったようです。
紫波2

 体育館内は冷えていたため、工事現場で使われるようなバーナー式のストーブが音を立てて焚かれていました。説明に依ると座席は800席を用意したが、足りないので追加するとのことでした。早めに入場出来たので運良く前列の座席に座ることが出来ました。その間、周囲のオバチャン達は声高に世間話をしていましたが、耳から入ってくる言葉は岩手で生まれた自分が幼少のころに聴いた言葉遣いで、今で言えば古い方言なのでしょうが、まさに石川啄木の詩に「ふるさとの訛り懐かし、停車場の人込みにそを聴きにゆく。」の心境でした。上映に先立って主催者から深澤晟雄村長の経歴や業績が紹介されました。
紫波3

 いよいよ、上映開始です。映画はDVDを再生と思っていましたが、なんとフィルムの映写でした。これは演出効果なのかも知れませんが昔見た映画のように画面に小さなフィルム傷のような物も見られ、昭和30年代の映画館の雰囲気が演出されていました。
 映画の冒頭は深澤夫妻が、しんしんと雪が降るなかを馬そりに乗って沢内村に帰るシーンです。あまりに雪が深いのか、機嫌を損ねたのか、馬喰がいくらせかしても馬がテコでも動かなくなり、深い雪の中を夫婦二人で滑ったり転んだりしながら歩いて、途中古びたバス停の中で休憩するシーンもありました。この情景が後の「豪雪を克服して冬季間の交通の確保」の伏線になっていることは見逃せません。帰村した深澤氏は、最初は夜間高校の英語教師からスタートし、その評判から当時の村長に見込まれて村の教育長に、そして助役になり、第1期目は無投票で村長に就任し、現金収入の元となったナメコの栽培にも取り組んだエピソードが描かれていました。
 全国で始めて高齢者と乳幼児の医療費の無料化を実現したり、当時全国一であった乳児の死亡率をゼロにするため医療と福祉を一体化させ、今でも驚くべきことに「予防」の概念を採り入れた村の医療・福祉計画を作成したことです。今はこれにもちろん「介護」が入るのでしょう。
当時の役場の担当部署や保健婦を病院に配置替えをした構想は、私も大学を卒業した後に、当時の院長の講演から「沢内方式」として学びましたが、その当時としては全く斬新だったと思われます。
なかでも、医師確保のために文字通り春夏秋冬、仙台の東北大学まで向いて教授に医師派遣を粘り強く交渉して、ついに実現させたシーンでは「本気が人を動かす」ことを痛切に感じさせられました。この当時は、「医者に行く」のは亡くなった時に診断書を書いてもらうためのことで、治療を受ける機会は経済的に難しい状態であったとのことです。冬の深夜に遺体をソリに乗せて医者のいるとなり町の湯田まで運ぶシーンは悔しさとあきらめが一杯に描かれていました。
 また、豪雪対策として冬季間の交通路を確保するためにブルドーザーで除雪をする話が出てきますが、故障の多かった初代ブルはそれなりに年式の古い物でしたが、後から県が追加して導入されたブルは現行のタイプに近いイメージで、30年代当時の機械のデザインは些か異なっていたかもしれません。また、冬季間の除雪だけではなく、新田の開墾等にもブルを活用して農業収入を数倍に増やしたエピソードも紹介されておりました。
婦人会の代表役が、浅利香津代さんでしたが、生の秋田弁丸出しでした。ところが、この地域では全く違和感が無い言葉なのです。岩手側の湯田(現西和賀町)と秋田側の山内(現横手市)は、平和街道で繋がっていますが、この県境は、珍しく「峠」がない道なのです。昔から南部藩と佐竹藩の交通の要所となっていたと思われます。そのため、言葉も驚くほど(横手に)似ているのです。
 ドラマのクライマックスは、「村民のいのちは自分たちで守る」をモットーとしていた村長自身が病魔に犯されてしまい、大手術の後、設備の充実していた福島医大に入院していましたが、とうとう不帰の人となってしまい、夕刻にオレンジ色のヘッドライトを灯した昔のコロナと思われる車列が、村長自らが道路を開拓した「山伏峠」を越えて沢内村へ無言の帰村をするシーンです。多くの村人が道路に出て迎えていました。原作となった及川和男氏著の「村長ありき」でもこのシーンは最も胸を打たれた場面ですが、上映会場でも周囲からすすり泣きの声がひとつふたつではなく、会場全体の雰囲気となり、まるで村長の魂がその場に帰ってきたかのような思いでした。将に圧巻のシーンと言うに尽きるクライマックスでした。

 さて医療制度の経過を考えるとわが日本は、この映画と同じ時期である昭和36年の国民皆保険制度の発足によって、世界で最も優れていると言われる社会保険制度を擁し、医師不足の解消のためという理由で昭和40年代に「一県一医大構想」で、秋田大学医学部の新設を緒として全国にくまなく医師を配置する計画でした。
 ところが、50年経って21世紀の現在、ことに研修医制度発足後に医師の偏在・不均衡問題という大きな歪みが顕著となり、都市部の医師偏在、地方の医師不足が引き起こした病院の機能不全による医療崩壊が現実の大問題となっています。(私の地域でもこの1年ほどの間に社会保険庁解体に伴う秋田社会保険病院の存続問題と住民運動、またJA厚生連が運営する湖東病院の廃止問題、医師不足に依る北秋田市民病院の開業の遅れ問題 等)
 その意味でもこの映画は「医療の原点とは何か」をもう一度考えるきっかけとなるのではないでしょうか。
 医療関係者はもちろん、政(まつりごと)に関わる行政、議会関係者にも、一見の価値があると思います。そして地域のために尽くすという「公の心」を身をもって実践した人物を学ぶ素材として、是非とも次世代を担う子供たちにこそ見てもらい、半世紀前の岩手の極貧の村に生命尊重の大志を掲げた人がいたことを心に刻んでもらえれば、将来の人材育成の一助にもなるのではと願う次第です。
 みんなの手のひら

映画 「いのちの山河 日本の青空?」のご紹介
<いのちの山河 日本の青空 予告編>

<上映開始のニュース IBC>

<試写会 インタビュー>

 主題歌「みんなの手のひら」ピアノ、ボーカル、ビオラの各バージョンが有りますが、沢内の自然が目の前に浮かんできて心が暖かくなる旋律です。弦楽器のオブリガートに宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシェ」を感じたのは私だけだったでしょうか。
 この映画が地元能代市でも是非上演される機会がることを切に希望しております。(4月16日、4月18日 20日追加)

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沢内村の故深澤晟雄村長を想う、2ヶ月ぶりの更新です。 

米代川09

 暦を見ると早9月も終わり今年度も下半期に成ろうとしています。今現在(9月27日午後3時)の診療室の室温はなんと31℃を示しています。因みに院長室はクーラー稼働中です。今年の夏は梅雨明けせず、夏も冷夏の様な感じでしたが、この頃は、また暑い?日がぶり返しています。
 9月はシルバーウィークという名の4連休が有り、特に何をしたわけではないのですが、気持ちの緩みと共に体が鈍ってきていることが実感されます。個人的には日月の連休も含め、やたらと休みが多くなってきているようですが、世の中このままでいいのかと気になる所です。
 さて、前回の更新は7/25でしたので2ヶ月ぶりのエントリーです。この間の、9月中旬に学会発表を予定しており、お盆頃からかかりきりの状態でした。齢50となっても必死にデータを集め、毎日、深夜まで机が本や書類で埋まりパソコンと格闘している様は他人様にはお見せ出来ない物だったと思います。それでも収穫として当院に来院している患者さんの健康状態についてアウトラインを知り、仕事を振り返る事が出来たと手ごたえを得ることが出来ました。
資料館

 最近行った場所でぜひ御紹介したい所が有ります。
それは、岩手県の旧沢内村(西和賀町)です。この村は奥羽山脈の東側の麓にあり、冬は4メートルもの豪雪に見舞われ、50年ほど前は乳幼児死亡率が全国一という不名誉な状態で、貧困にあえいでいました。その村を建て直そうと自らの命を懸けた深澤晟雄村長は、当時の県から医療費の無料化は国民健康保健法に違反すると指摘されても一寸もひるまず「憲法が保障する健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(第3章 国民の権利及び義務 第25条)と有り、憲法違反にはならない。裁判されるなら受けて立ちましょう。」と堂々と意見を通して全国で始めて1歳未満の乳幼児、60歳以上の高齢者の医療費を無料化を実現した「生命行政」を実践致しました。
村長

 この成果として、昭和31年の乳幼児死亡率69.6人が、昭和38年には全国で初となる乳幼児士死亡率0を達成しました。この出来事は沢内村に関する書物(村長ありき、沢内村奮戦記、沢内村とともに、自分たちで命を守った村 等)や平成19年9月にNHK「その時歴史は動いた」、映画「いのちの作法」などで紹介されております。
 地元では昨年深澤晟雄元村長を顕彰する資料館を開設し、当時の村行政に関わる資料を展示しています。お盆の8月14日と9月22日に資料館を見学いたしましたが、館内に入ると今でもそこに深澤晟雄村長がいるような圧倒的な存在感と村人の生命を守るという熱い思いがひしひしと感じられる場所でした。まさに医療の原点はここに有りと感じている次第です。

 深澤晟雄村長の言葉(昭和36年4月)
・ ・・・生まれた赤ん坊がコロコロ死んでいくような野蛮な条件、また年老いた人々が農夫症に苦しみながら、じっと我慢して枯れ木の朽ちるように死んでいく悲惨な状態を、根本から改善していかねばならない。与えられた人間の生命が完全に燃焼し尽くすまで自分たちで自分たちの生命を守り続けることが、主義主張を越えた政治の基本でなければならない。教育も経済も文化も、すべてがこの生命尊重の理念に奉仕すべきものである。私の生命は住民の命を守るために賭けよう。
遺訓

「深澤晟雄資料館」
深澤晟雄ホームページ

 深澤晟雄村長をテーマとした映画「いのちの山河~日本の青空?~」の完成試写会が10月1.2日に西和賀町 銀河ホール、3日に盛岡市 岩手教育会館で行われます。<詳しくはこちら>

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カーペンターズ 4月20日NHK総合TV プレミアム10 から 

 連休なので久々に心身ともにリラックスしています。自由な時間のありがたさ、贅沢さを感じるなんてしばらくない事でした。
カーペンターズ

 先日、NHKのテレビ番組でカーペンターズの特集をしていました。放映は見る事は出来なかったのですが、録画を見ると、懐かしさに時間の経つのを忘れていました。本日4/30の読売新聞にもやはり40代の方から「心癒されるカレン(可憐の字がぴったり)の歌」と投稿が有りました。同様5通とありましたから、この番組が与えたインパクトは大きなものが有った証でしょう。我々の知らなかった、デュオの後半部分の苦悩と病の時期の話は、なんとも言えぬ悲しみに襲われた感が有りました。
 そして、なぜか、カレンがソロアルバムを作るためにニューヨークへ行ったときの話では、そのプロでデューサーがフィル・ラモン氏で有る事が、なんの脈絡もないままに脳裏に浮かび、本当に彼の名前が出てきたときには驚きました。
 あの番組で本当に当時70年代に音楽好きだった高校生であった自分の過去が蘇ってきた思いです。カーペンターズサウンドの特徴は、兄リチャードの緻密な編曲とオーケストレーション、たとえば管楽器のオーボエやクラリネット、サックス、フルートや、スパニッシュ・カスタネットの効果的な使用はとても斬新なもので奥深い音楽性の実力に裏付けられたものでした。そして、一曲、一曲にけっして手抜かりが無く(往時のロックバンドのLPを聞くと、穴埋めのような明らかに手抜きあるいは遊びのような曲が何曲か散逸している)また、個人的にはリードボーカルのカレンの歌声の魅力は豊かな肺活量に支えられた深い響きの低音部にあると思っております。さらに、当時最先端の技術であったマルチダビングを使用して、カレンの声がハーモニーで聞こえる効果もとても魅力的でした。
 こうして、思い出してみると当時使用していたラジカセの色、形、そして重さや使っていたカセットテープの銘柄、録音ボタンの硬さや、ボリュームつまみ(スライダー式のバリオーム)の癖や、レベルメーターの振れ等がありありと脳裏に浮かんできます。私にとっても「カーペンターズ」は青春の輝きであったことに相違はないでしょう。
まさに、イエスタディ・ワンスモアです。個人的にはSuper StarやTop of the worldと言ったビッグナンバーもさる事ながらGoodby to Loveという曲が大変気に入っています。
コーラスが終わった後に、雷鳴のようなドラム(バスタムのチューニングが念入りでヘッド(皮)とボディ(胴)が見事に共振しています。)の音の後、リードギターの長いアドリブがはいるのですが、このギターの「歌うフレーズ」が最高です。ぜひお聞きください。!!
youtube はこちらです。
**コンサートの映像ですが、ストリングスとバンドが合っていない様に聞こえるところが有ります。また ギターも残響か?妙なエコーで聞こえているところが残念です。ドラムスの音もちゃんと拾ってもらいたかったですね。CDの方がディティルがはっきりと解ります。
我が青春のカーペンタース゜でした。
*先週から診療室のBGMにもカーペンターズを加えています。
カーペンターズ ファンサイト
 +ネットで検索すると4/20のNHK「プレミアム10」に関するブログのコメントがかなり多数有ります。ほんとに良い番組でした。

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風の松原の散策 

巣箱3


風の松原は能代市の海岸砂防林で、760ヘクタールの広さがあり約200万本の黒松が砂防林の役割を果たすために江戸時代から植林されて出来た松林で、天橋立や、三保の松原などと並び「日本5大松原」に挙げられているそうです。最近は地元新聞でも取り上げられたように森林療法、癒しの場所としても有名になっているようです。この場所を歩くと森林浴の効果というか、気持ちが爽快になること確かなようです。

 さて能代という土地は冬は北西の季節風がまともに吹き荒れ、雪が横から降ってくるとよく言われます。植林した黒松もみな、南西の方向へ傾斜しています。この風景はいかに季節風の力が強大であるかを示す良い証拠でしょう。昔はこの地は砂丘であり季節風が能代の町に砂を飛ばして、飛砂の影響で町屋が砂で埋まってしまうことが有ったとのいわれが有ります。<写真の松は全て南西へ傾いています>
巣箱1


 私は、休日に朝食後の運動をかねてよくここを散歩しています。自宅から萩の台の寺町通りの裏手を通って松原に入り、南西の方向へ延びる散策路を通って能代火力発電所などにつながる港湾道路へ出て、広域交流センター、能代南バイパスを経由してまた自宅へ戻ると言うルートで一周1時間半ほどかかります。散策の良いところは、体を動かすと同時に気の赴くままに、頭の中でさまざまな思索を巡らすことが出来るからです。散策路は自動車は入れず、時々自転車の方もいますが、あちこち見ながら歩いていてもけがの心配はいりません。私は午前10時からお昼前に歩く時が多いのですが、松原には早朝からおもに中高年、いやシニアエージの方々が個人で、あるいはご夫婦で、はたまた井戸端会議よろしく賑やかにグループでとさまざまです。中高生がランニングをしていることもあります。不思議なもので、こんなときすれ違う人たちは「おはようございます」「こんにちは」と自然に挨拶を交わしていきます。
巣箱4

 最近、松原の中には真新しい巣箱が目立つようになりました。森林環境の保全の一貫として鳥の定住を期待してのものでしょうか。アカゲラが立ち寄るためと説明が有りますが、写真にあるように、設置されている場所の地上高が低く、鳥たちにとっては、いささか使いにくい状態ではないでしょうか。もちろん木の高いところに設置するのは、労力的に大変なことは想像に難く有りません。
巣箱2


 今日もいくつかの巣箱を見かけましたが、まだ「入居」している巣箱は見当たりませんでした。昨日からの積雪が有りますが、この程度であればまだ散歩は可能のようです。怖いのは、道路が凍結したときです。さてと、これで今日も運動と頭の中のクリーニングができました。松原の散策は休日を有効に使った私のプライムタイムです。

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